2018年12月13日木曜日

斉田平太郎氏蔵『代田村・下北沢地誌』書入

根津山遺跡の調査のため

直良信夫「東京旧根津山遺跡」
〔日本旧石器時代の研究 (早稲田大学考古学研究室報告第2冊) S29・所収〕
との論文が再録されている
「世田谷区史料 第8集 考古篇」(世田谷区/S50・刊)
の、巻末近くの逆綴じ部分にある
「逸亡板碑一覧」(p.522(163))
という、当時すでに現存していない区内の板碑のリスト中、かつて(戦災前?)圓乗院に納められていたとする、応安4〔1371〕年のそれに関して、以下のような記述がありました

斉田平太郎氏蔵『代田村・下北沢地誌』書入 「明治廿二年六月、我居宅ノ北二古墓地アリ、今年回葬ノ節応安四年ノ石碑ヲ発掘セリ、明治廿九年迄五百廿五年ヲ経過ス」 この板碑は、斉田平太郎氏旧蔵、圓乗院に納め、戦災のときか、逸亡する。

この斉田平太郎氏蔵『代田村・下北沢地誌』なる文書の素性は

この「世田谷の地名」の別冊「世田谷古地名集」のp.119に

『代 田村、 下北沢村地誌外』 (代田村皇国地誌書上控)
〔斎田平太郎家文書〕

とあり、その「皇国地誌」なるもの、維新直後に企図された、いわば「新編武蔵風土記」とか「江戸町方書上」の新政府版で、ひな形をみると、かなり詳細にわたる内容だったようですが、明治9年だったかの皇居の火災で資料の過半が焼失して頓挫した模様です。

斉田家文書は、代田村名主として新政府に提出した報告書の控と下北沢村の名主(阿川家?)のそれの写しを主体とする文書と思われます。

この斉田平太郎氏蔵『代田村・下北沢地誌』なる文書、あるいは「秋元健次メモ」の典拠かもしれません。現存しているとよいのですが。


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