江戸時代〔近世〕 の 麹町 の 秩父屋 について
この材木仲買人は、原則として(本物の)材木問屋〔といや〕に手数料を払って材木を仕入れてもらい、大工、橋大工、船大工などの「事業者」に材木を販売することを生業としていました(材木の場合、―今のホームセンターのように―最終使用者が買いにくることは想定しにくいのですが、問屋はもちろん、仲買人も、そのような「素人」に直売しない取り決めになっていたようです)。
2 これら、仲買人は、明暦期〔1655-1658年〕、遅くとも享保期〔1716-1736年〕以降は、天保13〔1841〕年2月から嘉永5〔1852〕年9月までの限られた期間を除いては、「仲間」と呼ばれていた組合(というよりカルテル)を作っていましたので、それなりに整備された名簿類が残っています。
その名簿によれば、麹町地区、つまり麹町山元町(現・麹町2・3丁目の新宿通りから1本南の裏通り-俗に材木丁あるいは材木店〔だな〕と呼ばれていました-)と麹町11丁目(現・四谷1丁目の新宿通り沿い)界隈には
・天保12〔1840〕年時点で
秩父屋孫七、秩父屋利助、秩父屋利八 の3軒の「秩父屋」があり、
この3軒は明治2年まで存続し
また、このうち、秩父屋孫七の子孫は現在土浦で斎田屋材木店を経営しています
さらに
・嘉永5〔1852〕年時点では、その3軒に加えて
秩父屋直次郎
が新たに開店しています
しかし、この店は、先の明治2年のリストにはなく、この間に閉店していると思われます
3 したがって、ご照会の「破綻した秩父屋」は、秩父屋直次郎のお店の可能性が高いといえます(もちろん、天保期の前に開店し閉店した可能性もあるのですが、天保期以前については、名簿等の史料がみつかっていません)。
【関連資料】
田中康雄『江戸商家・商人名データ総覧』柊風舎/2010・刊
幕末維新期の江戸における家族世帯の構造─「麹町十二丁目人別帳」を史料にして─
https://ci.nii.ac.jp/naid/110010050776
麹町十二丁目における社会的階層の分化と江戸定着の状況 ─近世中後期における教訓書出版状況調査の前提として─
https://ci.nii.ac.jp/naid/110010049024
江戸町方人別張データベース
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009839937
大江戸商い模様
http://www.ocw.titech.ac.jp/?q=商い模様
斎田材木店(土浦)
http://tsuchiura-src.jp/tsrc2015/wp-content/uploads/2016/05/e7d56d2a2c48446fcaa38bfab545f72e.pdf
本日の卓話をさせていただきます齊田克史です。よろしくお願いいたし
ます。
私の会社,株式会社斉田材木店は昭和36年に法人改組して今日まで55
年,地元土浦で材木を中心に各種住宅資材の販売を行ってきました。
土浦へは昭和16年,私の祖父の代に戦時中の職業統制でそれまで営業し
ていた東京の木場から移ってきました。我が家は代々の材木商で同じくロ
ータリーメンバーの父,正一で10代目,私で11代目となります。
創業は1769年(明和6年)頃で,最初は麹町に店が有りました。
その後,明治維新・関東大震災・太平洋戦争などを経て,土浦市へ移り現在の姿で営業して
おります。
次に,わが社の歴史について,少しご紹介させて頂きます。
先ほど,創業は江戸時代・麹町だったとお話をさせていただきましたが,震災・戦災で資料
は残っておらず,祖父から伝え聞いた話だけで詳しい事は判りませんでした。
ところが,先日,インターネットの検索で祖父から聞いていた「麹町 秩父屋 斎田孫七」
というキーワードを入力すると,思いがけない結果が出てきました。
今まで全く聞いたことがない愛知県名古屋市の神蔵寺という寺院の記事が表示され「明和六
年三月七日,江戸麹町秩父屋斎田孫七が父,大安絃道居士菩提のため五拾両を寄進した・・・」
との内容が書かれていました。現在の菩提寺に残っていた戒名とも一致したことから,我が家
の先祖はどうやら江戸時代の中ごろ(明和年間)に愛知県の方から江戸に移ってきたらしいこ
とが判りました。
先日,両親を連れて名古屋市郊外の神蔵寺を訪ねて実地を見てきました。インターネットの
おかげで,今まで判らなかった自分のルーツの一端を知ることが出来ました。
東京50区縮図 二拾三番組(麹町(十丁)その他) 九段・麹町【関連資料】
田中康雄『江戸商家・商人名データ総覧』柊風舎/2010・刊
幕末維新期の江戸における家族世帯の構造─「麹町十二丁目人別帳」を史料にして─
https://ci.nii.ac.jp/naid/110010050776
麹町十二丁目における社会的階層の分化と江戸定着の状況 ─近世中後期における教訓書出版状況調査の前提として─
https://ci.nii.ac.jp/naid/110010049024
江戸町方人別張データベース
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009839937
大江戸商い模様
http://www.ocw.titech.ac.jp/?q=商い模様
斎田材木店(土浦)
http://tsuchiura-src.jp/tsrc2015/wp-content/uploads/2016/05/e7d56d2a2c48446fcaa38bfab545f72e.pdf
本日の卓話をさせていただきます齊田克史です。よろしくお願いいたし
ます。
私の会社,株式会社斉田材木店は昭和36年に法人改組して今日まで55
年,地元土浦で材木を中心に各種住宅資材の販売を行ってきました。
土浦へは昭和16年,私の祖父の代に戦時中の職業統制でそれまで営業し
ていた東京の木場から移ってきました。我が家は代々の材木商で同じくロ
ータリーメンバーの父,正一で10代目,私で11代目となります。
創業は1769年(明和6年)頃で,最初は麹町に店が有りました。
その後,明治維新・関東大震災・太平洋戦争などを経て,土浦市へ移り現在の姿で営業して
おります。
次に,わが社の歴史について,少しご紹介させて頂きます。
先ほど,創業は江戸時代・麹町だったとお話をさせていただきましたが,震災・戦災で資料
は残っておらず,祖父から伝え聞いた話だけで詳しい事は判りませんでした。
ところが,先日,インターネットの検索で祖父から聞いていた「麹町 秩父屋 斎田孫七」
というキーワードを入力すると,思いがけない結果が出てきました。
今まで全く聞いたことがない愛知県名古屋市の神蔵寺という寺院の記事が表示され「明和六
年三月七日,江戸麹町秩父屋斎田孫七が父,大安絃道居士菩提のため五拾両を寄進した・・・」
との内容が書かれていました。現在の菩提寺に残っていた戒名とも一致したことから,我が家
の先祖はどうやら江戸時代の中ごろ(明和年間)に愛知県の方から江戸に移ってきたらしいこ
とが判りました。
先日,両親を連れて名古屋市郊外の神蔵寺を訪ねて実地を見てきました。インターネットの
おかげで,今まで判らなかった自分のルーツの一端を知ることが出来ました。
https://www.tokyo-23city.or.jp/base/archive/home50files/50_023/50_023kmview-zoom.htm
姓氏家系大辞典digidepo_1123864 |
参河後風土記
https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/86.html
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993836
斎田氏に言及ある由
齋田家文書
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/106/152/d00128450.html
齋田家文書目録
http://saita-museum.jp/museumshop/
齋田茶文化振興財団紀要 『茗』 一九九六年 第一集 1996 1,000円
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