2018年10月8日月曜日

代田八幡神社 手水盤

■ 石段上右
 正面 
 右面
   水屋一棟
   昭和四十六年九月
   加藤清二郎


■ 石段上左

 秩父屋孫七 寄進
 
 正面
  中央に輪宝紋     中央に鋲を打った車輪様の部分有→成田山等真言宗系か
  右から 奉納御寶前
 右面
  江戸麹町山元丁
  願主 秩父屋孫七
 左面
  寶暦十二壬午年
  九月吉祥日

※秋元文書
 手水盤には「願主」として「秩父屋孫七」としか書かれていない
 まず、
 「孫七」の苗字が「斉田」であるとなぜわかったのか
 わかったとして…
 代田八幡に奉納されているので、代田の斎田家の縁者と推定するのはもっともとして
 2家ある斎田のうち、なぜ、中原斎田と断定できたのか
  
■ 石段下左

 正面
  中央に 丸に 三つ剣?片喰 紋
  右から 奉納


  
 右面
  紀元二千五〔「百」欠〕
  丗三癸酉年三月
  爲家内安全
    *紀元2533年=1875(M6)年






























 左面
  願主
  市兵衛町
  平原嘉平

     *市兵衛町=六本木3丁目 飯倉ランプ西(下図)


市兵衛町・近世
市兵衛町・現代

 
階段下の明神鳥居は、天明5〔1785〕年造
宝暦12年は1763年

したがって、鳥居よりも手水盤が旧い。

よって、代田八幡神社最古の石造物。

なお、喜多見氷川神社の鳥居は承応3〔1653〕年寄進
https://jinja.tokyolovers.jp/tokyo/setagaya/kitamihikawajinja
なので、それには後れる。

もっとも、石造物としては、中世期の板碑もあるので、そのレベルで最古を競っても意味がない。

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