■ 石段上右
正面
右面
水屋一棟
昭和四十六年九月
加藤清二郎
■ 石段上左
秩父屋孫七 寄進
正面
中央に輪宝紋 中央に鋲を打った車輪様の部分有→成田山等真言宗系か
右から 奉納御寶前
右面
江戸麹町山元丁
願主 秩父屋孫七
左面
寶暦十二壬午年
九月吉祥日
※秋元文書
手水盤には「願主」として「秩父屋孫七」としか書かれていない
まず、
「孫七」の苗字が「斉田」であるとなぜわかったのか
「孫七」の苗字が「斉田」であるとなぜわかったのか
わかったとして…
代田八幡に奉納されているので、代田の斎田家の縁者と推定するのはもっともとして
2家ある斎田のうち、なぜ、中原斎田と断定できたのか
■ 石段下左
正面
中央に 丸に 三つ剣?片喰 紋
右から 奉納
右面
紀元二千五〔「百」欠〕
丗三癸酉年三月
爲家内安全
*紀元2533年=1875(M6)年
左面
願主
市兵衛町
平原嘉平
*市兵衛町=六本木3丁目 飯倉ランプ西(下図)
市兵衛町・近世 |
市兵衛町・現代 |
階段下の明神鳥居は、天明5〔1785〕年造
宝暦12年は1763年
したがって、鳥居よりも手水盤が旧い。
よって、代田八幡神社最古の石造物。
なお、喜多見氷川神社の鳥居は承応3〔1653〕年寄進
https://jinja.tokyolovers.jp/tokyo/setagaya/kitamihikawajinja
なので、それには後れる。
もっとも、石造物としては、中世期の板碑もあるので、そのレベルで最古を競っても意味がない。
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