2021年3月12日金曜日

代田の冨士講

 ■信仰を…

ベースにして作られたグループである、講中には、大別して、通常、ムラそれもその中の小名(小字)程度の範囲で構成され、原則全員(全戸)参加といってもよいタイプと、それより、やや、というか、ムラを超えた範囲での個人(というより各イエ)参加によるタイプによるものとがありました。

■近世の…

代田村のことを調べてみても、前者の全戸タイプのものとして、秩父三峯神社を崇拝する三峯講が代田本村を中心として結講されていた一方、青梅の武蔵御嶽神社を崇拝する御嶽講〔みたけこう〕が中原を中心として結構されていたことがわかりました。

それに対し、後者の個人参加型の講中として、旧代田村の領域の中には今のところ直接的な手掛かりは見つけられていないのですが、実は、今のところ判明している範囲では、旧・荏原郡内では、、旧下北澤村には、同村、代田村に加え、北隣の旧・豊島郡内の(現・中野区内の)雑色村や幡ヶ谷村といった広域からの講員によって構成された、富士山への信仰で結集された「山富丸平講」という、旧・下北澤村の鈴木家がリーダー(先達〔せんだつ〕)を務めていたと思われる、江戸時代の後半から江戸府中や周辺部をほぼ席巻していた富士講の講中の一つがありました。

(旧若林村にも、同じ、上位組織である「親講」の傘下だったためかと思われる同名の「山冨丸平講」があったようです。)

■ここまでは…

現・北沢1丁目のほぼ真ん中に、この講中の存在を示す大きな石碑があるのでわかってはいたのですが、それ以上に、この講中の活動を示す史料が長くみつかりませんでした。

■最近1年…

ほどですが、この「山富丸平講」の活動にかかわる記録が、鈴木先達のいた旧・下北澤村、あるいは荏原郡ではなく、北隣の豊島郡(明治以降は豊多摩郡)の旧・幡ヶ谷村(と、渋谷村)にあったことがわかりましたので、それらの史料を

北沢1丁目の「富士講碑」: 平成作庭記+α (cocolog-nifty.com)

にまとめてみましたので、ご笑覧ください。


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