2020年10月18日日曜日

代田村、下北沢村などでの御嶽、三峯への代参講

■先週…

渋谷宮益坂下の、宮益御嶽神社で、「お犬ささま」つまりオオカミのお札


をいただいてきたのを機に、「お犬さま」のお札を配付している

・青梅の御嶽神社
・秩父の三峯神社
への代参講について調べ始めました。

毎年、代表者をこれらの神社に送り、いただいてきたお札を講員に配る代参講は、三峯神社へのそれが、代田と松原では今も続いているようです。

 http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2020/10/post-411332.html

■代田の場合

円乗院東脇にある三峯神社が三峯講のもので、毎年同院で代参の報告会が開かれる由。

2020年11月25日に、三峯神社に参拝してきたが、少し開けられていた祠の中を覗くと、真新しい代参札らしい護符が納められていた。


なお、旧代田村内の御嶽社と三峯社については

【ちょっと域外】ご近所の「お狗さま」探訪: 平成作庭記+α (cocolog-nifty.com)

の、

「2020/11/25」

の項参照

【追々記】
■下代田の三峰社について

代田村には、下代田(現・代沢東部)にも三峯社があったようで
代沢九条の会「代沢1丁目(旧下代田町)を中心とする戦災地図」同会/2007〔2版2008〕・刊
末尾の地図の解説によると、現・代沢一丁目26番の中央部に表示の符号11の場所について「11 空き地(広場) 三峰神社の小さな祠があり、町の集まりや避難訓練の場所になっていた」とある(一部では俗に下代田神社とも呼んでいたようである)。
なお、M13に帝国陸軍が作成した1/20000迅速測図「東京府武藏国豊島郡代々木村荏原郡上目黒村近傍」には、現・代沢一丁目29番の中央部辺りに鳥居マークがあり、後の三峰社の前身かと思われる。

なお、この鳥居マークは、M42の1/10000地形図「世田谷」には存在しない。
その後、T04の同名図では、前記戦災地図の「11」のポイントのある現・代沢一丁目26に該る、当時の下代田135番地の場所に鳥居マークが出現している(その後、同地内での移動はあったようである)。

【追々々記】

●その1
先日、かの代田七人衆の末裔の方にうかがったところ、この種の講中は、いわゆる小字単位で構成されていたためのようであるが、代田本村で構成された三峯講に、下代田地区の講員はいないようである。

したがって、本村のそれとは別に、下代田地区にもかつては、三峯講の講中が存在した可能性がある。

●その2
「特別展 神社参拝と代参講」〔図録〕世田谷区立郷土資料館/H04・刊p.50に

「昭和六十三年の「参拝控」(三峯神社所蔵)によれば、三峯神社に参拝した世田谷の三峯講は、豪徳寺(二組)・砧(大蔵山野講)・上用賀・野沢・下馬・代田であったが、代参の形をとっているのは砧・上用賀・代田の講のみであった。」

とあって、民俗的にも代田(本村)の三峯講は貴重な存在といえる。

【追記】

江戸近郊の紀行文として著名な、十方庵敬順の「遊歴雑記」の

第三編 巻之中 第二十九 秩父贅川の往来

以下に、文化13 (1816) 年5月、三峯講の、いわば代参者の代参として、秩父地方の札所を何か所か巡った後に、三峯神社に参詣し宿坊に泊まった折の描写がある。






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