2019年5月9日木曜日

代田の水車

■三田用水鉢山分水…

の水車を調べるついでに、北沢用水の代田地域(後に代田に編入された赤堤村飛地の栗原を含む)に架かっていた水車について、大正7年の「郵便地図」
https://www.tokyo-23city.or.jp/chosa/tokei/kochizu/kubunchizu/choson/seyagaya_kmview-zoom.html
上にプロットした。




 #に続く数字は
「明治・大正期における多摩川流域の水車分布-水車台帳の作成と水車諸産業の存在形態」1992〔俗称:水車台帳〕
http://www.tokyuenv.or.jp/wp/wp-content/uploads/2011/04/65ce837a62533de5c3be5e104f15b68f.pdf
の水車番号


No.に続く数字は
世田谷区教育委員会・編「世田谷の河川と用水」同教育委員会/S52・刊
のpp.87以下の表「区内水車一覧調査」の「分布図番号」

をそれぞれ示す。

■代田村の水車の…

歴史は、現23区内の水車の多くは明治期に設けられていたことからすると意外に旧い。

伊藤好一「武蔵野と水車屋-江戸近郊製粉事情-」クオリ/1984・刊
によれば

天明01(1781)年に
 多摩郡〔ママ〕代田村の百姓幸右衛門が、水車設置の許可を受け(pp.80-81)

安政04(1857)年の水車仲間(同業組合)中の「北澤組」に
 代田村の藤兵衛と宇之吉が名を連ね(pp.178-179)

ている。

ただし、後の4基との関連は不明。


おそらく直接の関係はないかもしれないが、水車の稼働は、水のコントロールについて、相応のノウハウと技術が必要で、周囲の耕地所有者にその能力があることを理解してもらえないと、設置についての承諾が得られない。

また、水車の設置については、当然かなりの費用がかかるので、つまるところ、周囲の信頼と資力が不可欠ということになる。

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