2018年10月9日火曜日

だいだらぼっちの足跡の形状

2018/10/02

世田谷代田駅前の「足跡」についてきむらたかし@北沢川文化遺産保存の会baumdorf@nifty.com

現行計画平面図の足跡は・親指が足の軸線方向にまっすぐ前方にのび
・土踏まずが狭い
という、靴に押込められ続けた現在人の足跡か、すくなくとも、親指の方向については近世以
降の日本人の足跡である。
(但し、明治初期の写真を見ると、江戸の職人や商人は
・足袋を着け
・草履の鼻緒を挟む必要
からと思われるが、下図のように足幅は広いが、親指は足の軸線方向に伸びている例も多い)

しかし、現代人であっても産まれたばかりの新生児は、まだ、まったく靴で「纏足」されていないので、親指は体の内側に向かって、他の4本の指とは別方向に伸びていて、
神戸大学発達科学部教授 田中 洋一「現代子ども考〜足の裏編〜」
http://ivojapan.com/1mile/1mile_5-1_789.pd

によれば、
「裸足で歩いて生活をしていた昔の人間の足は、. 指先が扇型に開いてがっちり大地を摑める、いわゆる足趾捕地能力に長けた足形をしていました。 今から2000年ほど前の縄文人の残した足形などからも、それは見て取れます。」
とされ、古代
(日本)人と同じ、人本来の足型とのことである。




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
調べてみると

日本の各地で、砂浜や泥地岸や火山灰の上の、古代の人々の足跡が発見されている



1 垂水日向遺跡(兵庫県神戸市)縄文期


土石流に埋まった砂浜に足跡が遺されていた。

JR山陽本線の垂水駅前のビルの地下に、剥ぎ取った地表面、御影石に足跡のレプリカを彫り込んだ床タイルなどが展示されている。

https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/47ea196d5d3a5655c190bc8025649e30

https://blogs.yahoo.co.jp/taimyrensis/61927147.html

https://seiyo39.exblog.jp/13591567/

https://pds.exblog.jp/pds/1/201007/14/87/b0118987_691056.jpg




2 萪内しでない遺跡(岩手県盛岡市)縄文期


  氾濫した泥の下の川に近いぬかるみに足跡が遺されていた。

  岩手県立博物館に、剥ぎ取った地表面が保存されて、同館にレプリカが展示されている。



 https://blogs.yahoo.co.jp/taimyrensis/61927147.html

 http://inoues.net/family/iwate_museum.html

  http://inoues.net/family/iwate_museum076.jpg

  http://inoues.net/family/iwate_museum072.jpg

http://shizukuishishidankai.com/?action=cabinet_action_main_download&block_id=68&room_id=1&cabinet_id=2&file_id=33&upload_id=165



3 金井下新田遺跡・金井東裏遺跡(群馬県渋川市)古墳時代

火砕流に埋まった、6世紀初頭の榛名山の火山灰の上に足跡が遺されていた。

  http://www.gunmaibun.org/remain/iseki/hakkutu/2016/20161214-3.html


 

先の垂水日向遺跡の

レプリカから、当時の足の形をトレースすると







































このようになりそうである。

ただし、ここの足跡に限らず、3例とも、貝拾いだったり(1)、魚捕りだったり(2)、火砕流から逃れるためだったり(3)と、

「目的を持って移動中」の足型であり、また、もともと、現代人でも歩行時には、足の指が地面を掻くように動いているのだし、さらに当時は今と較べて、(哺乳類

の原則どおりに)重心をつま先に置いて前のめりで歩行して

いたといわれているので、単に正立している場合よりも

・指先を曲げるので足の裏との距離は近くなり

・土踏まずのアーチが深くなり、その面積が広がっている

(下図左)

ことになるが、伝承によれば「代田のダイダラボッチ」(下図右)

も、この地を移動中の足跡ということになるので、縄文期の足

型を基準とすべきことになる。
 
 
先の垂水日向遺跡の
レプリカから、当時の足の形をトレースすると



















このようになりそうである。
ただし、ここの足跡に限らず、3例とも、貝拾いだったり(1)、魚捕りだったり(2)、火砕流から逃れるためだったり(3)と、
「目的を持って移動中」の足型であり、また、もともと、現代人でも歩行時には、足の指が地面を掻くように動いているのだし、さらに当時は今と較べて、(哺乳類
の原則どおりに)重心をつま先に置いて前のめりで歩行して
いたといわれているので、単に正立している場合よりも
・指先を曲げるので足の裏との距離は近くなり
・土踏まずのアーチが深くなり、その面積が広がっている
(下図左)
ことになるが、伝承によれば「代田のダイダラボッチ」(下図右)
も、この地を移動中の足跡ということになるので、縄文期の足
型を基準とすべきことになる。

 
 
 
 

もっとも

このような古代人の足に比較的忠実なデザインの足型は、すでに、この代田の地に存在する。

代田図書館エントランス 郷土資料館の学芸員さんが関与か?

 著作権をクリアする必要があるが、それができるなら

・代田における「ダイダラボッチの足跡」の統一マークにする

に値すると思われるし、できれば

・非営利使用であれば、誰でも自由に使えるようにする
 (営利目的の使用については、一定の使用料の支払いを条件に許諾する)

こと望まれる。

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