南方熊楠「ダイダラホウシの足跡」

■ 南方熊楠全集 第3巻 雑誌論考 pp.9-12


ダイダラホウシの足跡

坪井正五郎「ダイダラボウシの足跡と火の穴」(『東洋学芸雑誌』二五巻三一六号二〇頁)、藤原咲平「ダイラポッチの昔話」(「東洋学芸雑誌」二五巻三一七号八一頁)参照*

 喜多村信節の『嬉遊笑覧』巻の四にいわく、「大太ボッチと言うは、『平家物語』八、豊後・日向両国の界に、姥ヶ嶽という山の下に岩穴ありて大蛇すむ。こは日向国高知尾〔たかちお〕明神神体なり。豊後国に、大太夫という者の娘にこの大蛇通じ、妊みて男子を生む。七歳にして元服して、名を大太という、とあり。『紫の一本』大太橋条に、大太ボッチが掛けたる橋の由言い伝う。肥後国八代領の内に百合若塚というあり、云々。所の者いわく、百合若は賤しき者なり。世に大臣というは大人なり、大太ともいう。大人にて、大力ありて強弓をひき、よく礫をうつ。今大太ボッチとは百合若のことなり、ボッチとは礫のこととぞ、云々。また上州妙義山の道にも、百合若の足跡また矢の跡とてあり。この外にも、大太ボッチが足跡、力業の跡、ここかしこにありといえり、云々、と。古え大勇の業の跡、誰とも知られぬを大太ボッチといいしなり。ボッチを『紫の一本』に礫のことというは非なり、例の法師ということにて、大なる人というほどの義なり。今大なるを大ぼやしというもこれなり、云々」。(〔著者書き込み〕『源平盛衰記』巻三三にも出づ。)

 この大大法師より転訛して、本誌〔東洋学雑誌〕に見えたる、ダイダラボウシ、ダイラボッチは出でたるか。世界通有の怪伝を Benjamin Taylor,Storyology,1900,p.11に列挙せる中に、「路側の巌より迸〔ほとばし〕る泉は、毎〔つね〕に某仙某聖の撃ちて出だせるところにして、丘腹の大窪はすべて巨人の足跡たり」とあるを合わせ考うるに、この名称を大なる人の義とせる『笑覧』の説は正見と謂うべし。再び攷うるに、『宇治拾遺』三三章に、盗賊の大将軍犬太郎の話あり。その人体躯偉大なりしより、この名を享けたるならん。ダイダラ、ダイラ、二つながら大太郎を意味するか、中古巨漢を呼ぶ俗間の綽名〔あだな〕と思わる。果たして然らば、太太は反って大太郎の略なり。

 八年前の拙著「神跡考」(Kumgusu Minakata,"Foot Print of Goes, etc," in Notes amd Queries, 9th ser, vi,1900, pp.163-165, 223-226, 323-324)に、神仏、人仙、動物の足跡と称するものの例を多く集めたるに、多くは岩石上に存するものに係り、鈴木〔庄一〕氏の質問に言うごとき、地面にあるはすこぶる希〔まれ〕なり。ただし、支那の史乗に、大沢中に巨人の跡を履みし婦人が、たちまち伏義〔ふっき〕、また棄を孕めりとあるは、あるいはかかる窪穴の、実に地上に存せしに基づける旧伝にもあらんか。(サウゼイの『一八一五年秋和蘭遊記』に、スパ付近にルマクル尊者の足跡あり、婦女妊を欲する者詣りてこれを踏む、とあるは石に彫り付けたるなり。)しかして藤原〔咲平〕氏の通信に見る、ダイラボッチが八ヶ岳を作るに臨み、力足を踏んで茅野に残せりという足跡にやや似たるは、サモア島の創世に、神チイチイが、天を地と割き、押し上げんとて岩上に留めたりという足跡と、漢土の昔、華山と首陽と連なりて、黄河の流を妨げしより、巨霊神、洪水の患を除かんと、二山を折開し、ために手印を華山頂に、足印を首陽麓に留むという話となり。

 いわゆる足跡石はタイロル氏もいえるごとく、天然また人工に成れる岩石上の凹窪の形、多少人間あるいは動物の足跡に類せるものにして、往々過去の世紀に生存せし動物の化石的遺蹟もあるべし。俚俗これらを神仏、鬼仙、偉人およびこれに関係ある動物の足跡と見倣して、幾分か宗教上の信念を加う。その最も名高きはセイロンのアダムス・ピークに現在する長〔たけ〕五フィート幅二フィート半のものにて、仏徒はこれを釈迦の跡といい、梵徒はこれをシヴァの跡とし、回徒はアダム、ノスチク徒はイウェウー、キリスト教徒は、あるいはトマス尊者、あるいはエチオピア女王カソタゼの閹宦〔えんかん〕の遺〔のこ〕すところとし、支那人はこれを盤古氏の留むるところとなす。ジェルサレムのオリヴェット山なる、キリスト左足の跡これに次いで顕われ、欧州諸邦に天主教諸尊者の蹤〔あしあと〕と号するもの、はなはだ衆〔おお〕し。

 回教はもとかかるものを拝するを厳禁したるにかかわらず、ジェルサレム(I.Burton,'Tge Inner Life of Syria,',1875, vol.ii, p.88)およびインド(H. Blohman,In the Journal of the Asiatic Society of Bengal,vol. xli, pt. 1,p.339,1872)に、回祖の足跡と称するものあり。本邦には由来正しき仏足石七あり、と『一話一言』巻一二にあり。なかんずく薬師寺のものは、『万葉集』に和歌あるをもって著わる。この他『唐大和尚東征伝』に載せたる、唐の越州の迦葉〔かしょう〕仏の足跡、平壌洞側の岩上なる、高麗始祖騎馬の蹄痕、チベット・ポタラ殿内の牛酪に印せる宗喀巴〔そうかくは〕の手形・足形。シャム・フラバット山にある仏および随伴の虎・象の蹤、インド・マレプールのトマス尊者最後の足印、ダンウブ河の岩に残せしヘルキュルスの跡、ヘロドタス前にオシリス神ヘエジブト人が捧げし足跡石、アフリカ・ペキュアナラッドの神モジモの洞より出でたる諸獣の跡、南米コロソピアの神使キミザパグアの跡、ニューゼーラッドとハワイの刑死酋長の跡等、枚挙するに遑あらず。

 また遊覧紀念のため、塔の屋根の鉛板等に、おのが足跡を画鎬することは、今も欧州、エジプト等に行なわる(Notes and Queries, 9th. ser.,iv,1899)。英王ウィリアム三世の足跡、そのトルベイに上陸せし点に存して今も見るべしという。漢土にも古くより行なわれしことと見えて、『韓非子』外儲説、左上、第三二に、「趙の主父〔しゅほ〕〔武霊王〕、工〔たくみ〕をして鈎梯〔かけはし〕を施し、潘吾に縁〔よ〕じ、疎人の迹〔あしあと〕をその上に刻ましむ。広さ三尺、長さ五尺。しかしてこれに勒〔きざ〕みていわく、主父かつてここに遊ぶ、と」とあり。

 未開世間の人が、箇人また社会の安寧を謀らんがため、自他の足跡に注意すること綿密を極むるは、Waitz und Gerland,'Antheropologie der Natureoalker,'1861,iii,p.222;Petherick,'Egypt, etc,'1861,pp.72,98,222;Galton.'Finger-prints'1892,p.23;『法苑珠林』巻四五(この話、。ハートソ英訳『アラビア夜譚補遺』一八九四年板、一〇巻三五五頁にも出づ)等、その例に富めり。さればその遺風として、今も清国人の契券に足印を用い(Schmeltz,in International Archive fu:r Ethnographie, vii, p.170, 1895)カンボジアの俗、師父の足跡を絹に押して弟子敬礼す(Moura,'Le Royamume du Candgei,'tom.i, p.197)。R,Smyth,'Thae Aborigines of Victori,',1878.ii,p.309に、ある濠州土人が岩上に手形を画く法を記せるも、紀念のためならん。南米の土人が石に足跡を刻んで事を記せるは、一八九一年、『英国人類学会誌』三七八頁等に出で、欧州にも、ブリタニーの有史前の遺碑に、人の双足を彫れるあり。スウェーデンの青銅器時代 の岩の刻紋に、跣および草鞋穿ちし足の図多き由 、Emile Caltaillac,'Francepre'nistorique,'1889, p.237 に見ゆ。これらはいずれも紀念記事のために遺せるもののごとし。

 人の足跡は、その陰影および映像と等しく、居常身体に付き纏いて離るること罕〔まれ〕なるものなれば、蒙昧の諸民これを陰影映像同様に、人の霊魂の寄託するところと思惟せしは、足跡に種々の妙力を付せしにて知らる。メラネシア人が嫌を避るとて兄妹、姉弟、姑婿、互いにその跡を踏むを憚り、ドイツの鄙人〔ひじん〕が、仇の履〔ふ〕みし芝土を乾かしてこれを羸弱〔るいじやく〕ならしめ、イタリアの俚俗、ガウト〔痛風〕を療せんとして足跡に唾して呪〔まじない〕し、支那の上古に、巨人の足跡を履んで牢むと信じ、古アイルランドの酋長、新たに立つごとに、祖先の足跡を石に彫れる上に立ちて、万事旧風を渝〔か〕えまじき誓言を受けし等これなり。故に最初紀念のために遺されし足跡が、おいおい神異不可測の機能ありとして、崇拝せらるるに及ぶは自然の勢いなり。

 予いまだダイダラボウシの足跡を見ず。その記載またはなはだ簡にして、果たして何物たるを知るに由なしといえとも、類をもってこれを推すに、あるいは上に見ゆる、越の武霊王が藩吾山頂に刻せしめしごとを一種の紀念品なるを、後日に神怪の誕〔はなし〕を付せしにあらざるか。

付言。紀州にはタイダラボウシなどの名なく、岩壁上天然の大窪人足の状を呈するものを、弁慶の足跡といい、当地近傍にも一つ二つ見受けるなり。

                (明治四十一年四月『東洋学芸雑誌』二五巻三一九号)

*東洋學藝雑誌 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3567596
  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3559274?tocOpened=1
  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3559275?tocOpened=1
  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3559277?tocOpened=1

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