「せたがや」令和2年8月25日号3面
https://www.city.setagaya.lg.jp/static/oshirase20200825/p02_002.html
に…
「北沢地域の地名の由来を紹介します(代田編)
永禄12年(1569年)に北条氏康の家臣であった垪和又太郎がこの地の領主になったとき、すでに代田屯と呼ばれていたようです(「北条分限帳」より引用)。」
とある。
■この…
垪和(はが)又太郎と代田屯の話は、これまでも結構目にしていたし、自身も「真に受けて援用」していた(以下の検証結果からみても、あまりに「イノセント」な判断だったというほかなく、これは、ゴメンナサイというほかない)のだが*、北條分限帳のどこに載っているのか、かつて、少し探してみたことがある。
https://daidarabotch.blogspot.com/2018/11/blog-post.html
*世田谷区生活文化部文化課「ふるさと世田谷を語る 代田・北沢・代沢・大原・羽根木」同/H09・刊 pp.25-26 など
その時見つけたのが、早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」の
とある。
■この…
垪和(はが)又太郎と代田屯の話は、これまでも結構目にしていたし、自身も「真に受けて援用」していた(以下の検証結果からみても、あまりに「イノセント」な判断だったというほかなく、これは、ゴメンナサイというほかない)のだが*、北條分限帳のどこに載っているのか、かつて、少し探してみたことがある。
https://daidarabotch.blogspot.com/2018/11/blog-post.html
*世田谷区生活文化部文化課「ふるさと世田谷を語る 代田・北沢・代沢・大原・羽根木」同/H09・刊 pp.25-26 など
その時見つけたのが、早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」の
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i04/i04_00600/i04_00600_0132/i04_00600_0132.pdf
だったのだが、pdfの44丁目の、垪和又太郎の条をみても、代田屯はなかった。
■そこで…
今回(この週末いっぱいかかると思っていた仕事が、ちょっとしは発想の転換で、あっさりと片付いたこともあり)、改めて調べてみることにした。
「北條分限帳」で検索すると、国会図書館のデジタル・ライブラリに「北條家分限帳」があることがわかった
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2538668/46
のだが、これにも「代田屯」はない。
■大体…
この種の史料は、あらかた写本といってよいので、筆写の際の書き落としということがままあるので、他のヴァージョンも調べてみる必要がある。
ところが、同じく、国会図書館の「リファレンス協同データベース」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000099006
を読むと、この史料
「小田原北条諸領役帳」
「小田原衆所領役帳」
「北条家分限帳」
「小田原分限帳」
「北條家所領役帳」
と、さまざまな呼ばれ方をされているのがわかった(立ち寄る家ごとに名前が変わるネコならともかく、これは、やっかいである)。
■加えて…
神奈川県立図書館の「小田原衆所領役帳 」
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/digital_archives/rekishibunken55/pdf/043odawarashushoryouyakuchou.pdf
によれば
・原本は、天正18年(1590)小田原落城の後、北条氏直が入った高野山高室院の什物として伝わった
系統1
・元禄5年(1692)に武蔵国豊島郡王子の金輪寺第5世宥相が高野山で書写して持ち帰っ た
・高室院、金輪寺共その後焼失したため、宥相の写本をさらに書写したものが多く存在する
・内閣文庫本はこの系統のもの
系統2+
・氏直の叔父氏規の末裔が藩主となった河内狭山藩*に伝わ る狭山本と呼ばれる写本が存在する
*後北條氏も、傍系ながら徳川時代も大名(当初は旗本)として存続し、明治以降は子爵
・『平塚市史』に収められた今井家本はこの系統に属する
また
・幕末嘉永年間に皆川秀巴という人物が書写したとみられるものが、神奈川県立公文書館及び同金沢文庫に所蔵
・前者は藤沢市文書館から『北条氏所領役帳』(藤沢市史料集20)として刊行
と、いうことで、写本は2.5系統あることになる。
だったのだが、pdfの44丁目の、垪和又太郎の条をみても、代田屯はなかった。
■そこで…
今回(この週末いっぱいかかると思っていた仕事が、ちょっとしは発想の転換で、あっさりと片付いたこともあり)、改めて調べてみることにした。
「北條分限帳」で検索すると、国会図書館のデジタル・ライブラリに「北條家分限帳」があることがわかった
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2538668/46
のだが、これにも「代田屯」はない。
■大体…
この種の史料は、あらかた写本といってよいので、筆写の際の書き落としということがままあるので、他のヴァージョンも調べてみる必要がある。
ところが、同じく、国会図書館の「リファレンス協同データベース」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000099006
を読むと、この史料
「小田原北条諸領役帳」
「小田原衆所領役帳」
「北条家分限帳」
「小田原分限帳」
「北條家所領役帳」
と、さまざまな呼ばれ方をされているのがわかった(立ち寄る家ごとに名前が変わるネコならともかく、これは、やっかいである)。
■加えて…
神奈川県立図書館の「小田原衆所領役帳 」
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/digital_archives/rekishibunken55/pdf/043odawarashushoryouyakuchou.pdf
によれば
・原本は、天正18年(1590)小田原落城の後、北条氏直が入った高野山高室院の什物として伝わった
系統1
・元禄5年(1692)に武蔵国豊島郡王子の金輪寺第5世宥相が高野山で書写して持ち帰っ た
・高室院、金輪寺共その後焼失したため、宥相の写本をさらに書写したものが多く存在する
・内閣文庫本はこの系統のもの
系統2+
・氏直の叔父氏規の末裔が藩主となった河内狭山藩*に伝わ る狭山本と呼ばれる写本が存在する
*後北條氏も、傍系ながら徳川時代も大名(当初は旗本)として存続し、明治以降は子爵
・『平塚市史』に収められた今井家本はこの系統に属する
また
・幕末嘉永年間に皆川秀巴という人物が書写したとみられるものが、神奈川県立公文書館及び同金沢文庫に所蔵
・前者は藤沢市文書館から『北条氏所領役帳』(藤沢市史料集20)として刊行
と、いうことで、写本は2.5系統あることになる。
【追記】
この前後の記述がかなりヤヤコシイので、チャートにしてみた。
要するに、「代田屯」への言及がないことについて、未チェックの史料は「金沢文庫・蔵」の写本だけである。
【追記】210809
国会図書館蔵のものについては、「愛岳麓蔵書, 桜川斎蔵書印,冑山文庫」とあった
■このうち…
2系統目は、平塚や藤沢の図書館にゆけば、それぞれ、あっという間に確認できるのだが、コロナと猛暑の中で気軽に行く気にもならないので、1系統目をもう少し探してみることにした。
まず、国会図書館で
小田原北条家所領役帳. [1]
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554925
小田原北条家所領役帳. [2]
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554926
これらは、先の分限帳と同旨で、家臣ごとの知行地のリスト2分冊
小田原北条家所領役帳. [3]
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554927
こちらは、知行地ごとの、家臣のリスト
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2538679/55
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2538680/48
を含めて「代田屯」はみあたらず。
■次は…
国立公文書館で、内閣文庫をチェックした
画像があるのは
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F1000000000000010944
51ページ
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F1000000000000010945
61ページ
なのだが、やはり「代田屯」は発見できなかった。
■こうなると…
先の第2系統を、折をみて調べてみるほかなさそうで、
「バックデータが不特定のまま、伝承だけが残っている」
今の状態をなんとかしたいものである。
【追記】
■ふと…
思いついて、神奈川県公文書館のデータベース
https://archives.pref.kanagawa.jp/archives/
にアクセスしてみたら、なんと
【中世諸家文書】小田原北条氏分限帳
つまり、上記の「系統2」の、画像データがあることがわかった。
垪和又太郎に関する記述は、
【中世諸家文書】小田原北条氏分限帳 巻2(写本)
https://archives.pref.kanagawa.jp/archives/detail?cls=08_collect_anc&pkey=2200930510
の、19コマ目と20コマ目にあった。*
*これまでの検索で、くずし字にある程度慣れていたことに加え、「板倉修理」という徳川時代の「超」有名な旗本と同姓同名の人のすぐ後なので簡単に見つけることができた。
徳川期の「板倉修理」は、著名な旗本という意味では「土屋主税」と肩を並べるといってよいが、後者が超ポジティブな意味でなのに対し、前者は超ネガティブな意味で有名なのである。
■しかし…
こちらの、系統2(の少なくとも有力な一つ)にも「代田屯」はなかった。
こうなると、途方に暮れる話しで
- 是非とも「平塚市史」で今井家本を確認する必要があるのと同時に*
- そもそも、この「代田屯」「垪和又太郎」「北條分限帳」のセットは、誰が言い出した話なのかも確認する必要があるだろう
そうなると、あるいは、当方も時々「やってしまう」ことなのだが、出典の引用ミス、つまり「北條分限帳」という出典表示が誤りで、実際は(何かないわけはないので)他の北條家内の書状などに出てきた話なのではないか、という想像もしている。
【追記】*
「北条氏所領役帳」が掲載されているのは
「平塚市史 資料編 古代・中世」pp.579-882
と分かった。
しかし、google books で内容を検索する限り
「代田屯」に言及されている可能性は、極めて低い(「拼和」ではヒットするが、代田ではヒットしない)。
【追記2】
■ここへ来て…
この話に、大きな問題があることに気が付いた。
先のとおり
永禄12年(1569年)に北条氏康の家臣であった垪和又太郎がこの地の領主になったとき、すでに代田屯と呼ばれていたようです(「北条分限帳」より引用)
とされているのだが…
■しかし…
そもそも
永禄12年版の「北條分限帳」あるいは「小田原所領役帳」なんてものが、存在するのであろうか?
【感想】「孫引き」は怖い。
実は、超高名な法律学者の誰もが読む名著に書かれている出典の文献に、どう探してみつからないものがあることが判明している。「ものの本」を書く以上は、原典確認が不可欠な作業であることを、こちらも思い知らされた。